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『譲らない人たち』…他人は自分

最近『他人は自分である』(意:他人は自分を写す鏡)という言葉が引っかかっている。

 

他人の振るまいが自分の振るまい…そんなことあるかい!と最初は思っていたけれど、なかなかどうして。結構説得力があったりすることに最近気づいた。

 

というのも、他人にされて嫌なことって自分も他の人にやってたりしませんか?

些細なことで恐縮ですが、私は一歩外に出ると『譲らない人たち』に毎日遭遇します。そして私は、そんな自分のことしか考えない人たちが大の苦手です。

 

私が言う『譲らない人たち』というのは文字通り、自分の進む動線上から少しも動かず、相手に我が道を譲らせるタイプの人たちのこと。オマエ、何様だよ。的な人たちのこと。

 

道だけではなく、スーパーやドラッグストアなど、狭い店内の狭い通路で人の往来を全く気にせずにデンと構えて一ミリたりとも動かない輩も多数生息してますね。あれほんと不思議。気づいてないならまだ救いもあるけれど、分かっているのにどこうとしない人たち。

 

私は、このような他人の事を全く考える余裕のない人たちと同じ人種にはなるまいと誓い、今や『譲る人』と化し、様々なところで空間を人々に譲っている。

 

でもあれ?ちょっと待てよ…。最近『譲る人』を徹底して実行いるうちに気づいたのですが、この姿勢で過ごすことで迷惑千万な『譲らない人たち』の出現が減ってきたような気がする…。

 

やっぱりこの世の中には法則があって、引力というか波長というのか、同じ波動の人たちは引き合うんだなと思ったりする今日この頃。『譲る人』の周りにはそれなりに『譲れる人』が集まってくるのかもしれない。

 

そう考えると以前の私は確かに、他人に歩調を合わせる事を知らない頑固者らに向けて『譲ってたまるか!』という敵意むき出しの精神が元気に働き、どかない人間には体当たりで臨んでいたなぁ…←天誅のつもり…情けない…

 

でもある日ふと、第三者目線でそんな行為をしている人を端から見た時に、いくら他人の邪魔をしている低俗な人間相手でも、体当たりとかしてフン!ってなっている人間なんて更にその下を行く俗悪な人間で気持ち悪いじゃん…って気づいたのですね。

 

そう、低レベル相手に低レベルで応じる行為とは、低俗な相手と同じレベルどころかそれ以下のレベルに成り下がってしまってしまっているなんとも恥ずべき行為なのですね。

 

なんかそれに気づいてしまった時に、「あ、こりゃいかんな。苦手な人種に自ら寄せてってるじゃん」ってなって猛烈に恥ずかしくなったわけです。

 

それでとりあえず、方針を変えました。迷惑な『譲らない人たち』には、逆にどんどん譲っていこうではないか、と。それをすることで嫌いな人種からさっさと逃げる(避ける)術を身につけたのです。逃げるが勝ちです。関わらないことが一番。せめて自分だけは関わりたくないとう一心から、早々に避けることにするのです。

 

今の私は、道歩いてて同じ動線上を対向から歩いてくる人が遠~くに見えた段階で「ササッ」とよけてしまい、相手の動線を塞がないようにしたのです。だから私の歩道の歩き方はジグザグ。自分でも酔ってしまうレベルです。

 

そしてこれを習慣にしていたら、『災厄を避ける』事に敏感になったのか、無意識に嫌なことを避けられるようになったようで、いろいろと、割と楽に過ごせるようになってきたのです。

 

そこで最近実感しているのが、冒頭の『他人は自分である』という言葉。

 

公共の場でよく見る、他人よりも得したい精神が全面に出た人たちの迷惑な言動を見る度に、人の振り見て我が振り直せって諺が脳裏をよぎっていた私ですが、そうやって忌み嫌っていた人たちと同じ言動を自分もやったことはないか、と考えた時に、疲れている時やイライラしている時はつい、自分もそんな言動取った事あったよな…と思い返せるようになりました。

 

決して自分はそんな事していない、とは言い切れないのです。

 

朝の忙しいさなか、駅の自動改札に引っかかる直前の人にイライラして心の中で舌打ちしたことはないか、あるな…。そのくせ、自分だって自動改札でバタン!ってやった事あるし…。ほら、お互い様なんだよねって気づいてきた←遅い…。

 

そう、やはり『他人は自分』なんですよね。

 

他人の眉をひそめる行為も、立ち返ると自分も過去にやっていた…という情けない現実。と、いうことはこの世の中、みんながみんな、誰かに迷惑をかけて生きているのだ。お互い様なのだ。

 

であれば、他人に親切にしてそのあげた親切を他人からもらう方がいいじゃない、って思考に変わったのが、今現時点の私。

 

そして、そのつもりで生きてみるとこれまた、周りには機嫌の良い優しい気持ちにさせてくれる人たちと接することになるこの不思議な現実。やはりこの世は循環だと改めて思う。

 

先日久しぶりに大きな頭痛に見舞われた。立つこともできなくて病院で看護師さんに車椅子に乗せてもらったりいろいろと多くの人にご迷惑をかけ、お世話になった。これも循環。とてもありがい気持ちになり、その分の優しい気持ちを他人へ渡そうと思ったのです。

 

こういう優しい気持ちをベースに生活していると、すこし嫌な事があってもなんともないんですよね。心がけって怖いわ…。

 

以前の私は、最近の日本は非常識な人間だらけでほんとに嫌だわ、なんて思っていたけど、今は逆。いい人が多い中でたまに残念な人がいるな、という現実に変わった。それだけで随分生きやすくなった。


そして、何かいい予感がしてきているのだ。なぜだろうか、将来に不安がなくなったという素敵な展開。お金って人がもたらすという話を聞いたことがあるけれど、そうか、こういうことなのかな、と思っている最近の私です。

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